
おやつにナッツ食べがち。

どうも、Webライターあるあるです。

わりと酒におぼれがち。

どうも、Webライターあるあるです。

あるある・る・る♪愛がある♪

いや、唐突に西田ひかるの歌出さなくていいから。
素直なWebライターと無思考なWebライター
今日のテーマはWebライターの心構え。素直と無思考はちがうというお話をしていきます。
まずは素直さから。
Webライターにはある種の素直さが必要です。たとえばフィードバックを受けたときや修正依頼を受けたとき。
まず大事になるのは「分かりました」であるのに「でもそれは~」から始まると印象が悪いですよね。
わたしは、修正依頼については基本的に100%応じます。
100%というのは「ここをこういう風に直してください」と言われたものに対してつっかからずに、すべて「分かりました」と受けるという意味です。

仮に相手の指示に気になる部分があっても、まずは直します。
そしてその上で「ここなんですけど・・」と切り出すようにしています。
なぜなら、Webライターはクライアントワークだからです。自分が書いた文章であっても自分の意見を発表しているわけではありません。
記事に対する最終的な判断はクライアントが行うわけですので、たとえ気になるところがあるとしても受けることが大事だとわたしは思っています。
要は「聞く姿勢」を示さなければ、自分の意見を述べられないということ。
修正依頼における「聞く姿勢」が、「まずは素直に指示のとおりに修正すること」だとわたしは思っています。
構成案を作っている段階ならまだしも、記事の執筆がスタートした時点で話はまとまっているはず。文章の概要についての不明点は事前に確認しているわけですから。
で、あるならば素直に書いて、素直に修正する。これが基本だと思います。

とはいえ、真っ赤になって返ってくる我が原稿の不憫さよ。。
無思考なWebライター
相手の意見や指示をまずはそのまま受け入れる素直さと、自分の考えなしに相手の言う通りにする無思考は、似ているようで違うものです。
Webライターはクライアントワークなので、自分の意見は必要ない。だから無思考で問題ないと考えることもできるでしょう。
たしかに、記事に自分の意見を持ち込まないことは重要です。記事の執筆にあたっては無思考でも問題ないでしょう。
しかし、無思考が響いてくるのは記事の執筆以外の場面です。具体的には「構成案を作るとき」と「アドバイスを受けるとき」です。
◆構成案は思考せずには作れない
Webライターが受ける仕事には、タイトルや見出し、見出しごとの内容があらかじめ決まっているものだけでなく、Webライターが自分で考えなければならないものもあります。
場合によりますが、Webライターが見出しやその中に書く内容の大枠を作るパターンがあるわけです。これが構成案を作るということです。
そして、構成案をWebライターが作る場合は、以下の2点について説明できなくてはなりません。
・なぜその順番で話を展開するのか
・それぞれの見出し内の文章で何を伝えたいか
記事のテーマはクライアントから与えられていても、構成についてはWebライターが作るなら、Webライターは「クライアントがどんな記事を作りたいか」「どんな記事を求めているか」を考え、くみ取らなくてはなりません。
それにも関わらず、「すべて指示の通りにやろう」とする無思考ではクライアントの思いを推し量ることができず、クライアントのニーズを満たした記事、喜んでもらえる記事が作れませんよね。
◆アドバイスをもらうときに相手に丸投げになる
無思考のままアドバイスをもらおうとすると、質問が抽象的なものになりがちです。
Webライターで言えば「クラウドソーシングと直接契約はどっちがいいですか?」「どうすれば稼げるようになりますか?」「ランサーズとクラウドワークスはどっちがいいですか?」というような質問が挙げられるでしょうか。
アドバイスをする側は、相手に合わせてアドバイスをするわけです。ですので、上記のような質問をされても「状況が分からないので一概に言えない」で終わってしまいます。
つまり、人によるので的確に答えられず、返答も抽象的になってしまうわけです。
こうなるとアドバイスをする側される側の両方にとって得るもののない残念なものになります。
そして「自分はこう思うんですが~」の部分がない無思考な状態だと、相手に依存する割合が大きくなります。
つまり「あの人が言うんだから間違いない」「あの人の言うとおりにしよう」「とりあえずこれやっとけばいい」という思考に近づいてしまうわけです。

素直にアドバイスを受けることと、無思考でアドバイスを受けることは似ているようで違います。
「素直に~」の方は「ゴチャゴチャ言う前にまずはやってみてそれから考えよう」というものです。
一方で、無思考の方は「言う通りにしておけばオッケー!」というもので、何かトラブルがあったときに「言った通りにやったじゃないですか!」とか「こんなことになると思わなかった」みたいなことになってしまいかねません。
言われた通りにやってトラブルになったのなら相手側の責任が大きいでしょう。
しかし、自分で考えていれば避けられたかもしれませんよね。
無思考は成長をさまたげる
「継続が何よりも大事」と言われることがあります。
ただこれらには重要な修飾語が抜けています。それは「改善しながら」や「試行錯誤しながら」です。
継続をすることは大事です。「そんなの意味ないよ」と決めつけてやらないよりはずっとよいです。
しかし、継続すること自体には大きな意味はありません。
たとえば「毎日案件に応募してます!」というのは素晴らしいことですが、それが全部コピペの提案文では意味がないですよね。
無思考だと継続することそのものが目的になってしまいます。
改善や試行錯誤は「どうしたらもっとよくなるか」について考えないとできません。
少しずつでもステップアップするため、できることを増やすためには「考えること」が必須だとわたしは思います。
所感

流されるな、考えろ。というお話でした。

フリーだと特にそうなのかも。

正直俺は考えるの避けてたタイプだから、今とても苦労しております。

進学先も就職もわりと消去法とその場の流れで決めてたもんな。

考えなしでも社会に出るあたりまでは行けちゃうのが問題とも言えるが、今さら言ってもしゃーないな。
おまけ1

そろそろお盆休みも終わりなのかしら?

どうだろう。週明けもまだ休みのところが多そう。

翌日が休みなのを利用して、トンカツパーティなんてどうかしら?

トンカツ食べたいだけでは?

そういえば、カツとフライの違いって何かしら?

さぁ。

まぁ、わたしはどれも好きよ♪

でしょうね。
おまけ2

フライをカツに言い換えれば、ちょっと高級感出ない?

は?

アジカツとか、ササミカツとか白身魚カツとか♬

・・そうでもないな。

そ、そうね♪

やっぱり「トンカツ」の響きには勝てないわよね。たぶん姓名判断も大吉よ♪
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