At MYTOILET🚽 #トイレにて

鶯(よう)

和唐君と出会って、文字を書くことになった。

和唐森羅と出会って、新しい見解と見方が見え始めたように思う。その記念にこの文章を上げる
一昨日、夜中 ががあああっと書き上げた文章で理解できない箇所もお見受けすると思うが読めるだけ読みすすめてほしい

人間の本質が何よりも大事だといったのは文学であった。
スティーブンキングの小説作法には(現在私がトイレで読んでいる)スティーブンキングが小説家になったまで自分に素直に生きてきたからではないかという結論をだすのも憚られるほど正直に事の成り行きを書いていた。
スティーブンキングが
私の記事で紹介した理三のなうたさんが結論ありきで結果を求めるなという助言を人生で迷っている私に去年であったころくれた。私はいい歳であるからすべてを分かった気になっていて、文学をやっている人、広くいってしまえば文章を書く人がなぜ早死にをするのか先日、分かった気になっていたがやはり今となってはわからない。ように
だって文章を書くことは楽しいことに違いないからであるから。
この文章も和唐君というツイッターで知り合った人が私の文才を認めてくれて、それで今回の回、筆を執ったまでであるからして、自分に文才があるか、も世間に迎合されるかもわからない中で、あの感動した夏目漱石と対面したいがために感性を磨き続け、人生を感性にささげた女の法王記である。とりあえず、私は、一作だけ自分の納得のいく作品を世に生み出してから死のうと思います。その作品は、未完成のまま、です。
別に文章のためじゃない、自分の感性を生かすために高校生の時分の感性を持ち続けていく構え。

私は上原浩治が好きだ。上原浩治の頑張っている姿に励まされてこれまで生きてきたことは微塵も疑いようのない事実で、それがあったから私の痛みも緩和されていたように思う。自分がこんなにも繊細で生きていくのが現在、息苦しくなるとは思っていなかったし、社会のルールというものの弊害に悩まされるなんて小さい頃は思ってもみなかった。自分が昔なりたかったものは漱石のように文筆家として社会で確立するということであったが、書けばいいと言われるが、書くことそのものが困難を極めていて、とても漱石にはなれそうにないなと思っていたころといっては失礼だが、そんなこころもちで現在も生きているところに和唐森羅君という帝王に出会った。彼はすべてのものを出会った当初から否定しない人で、私は生きた心地がした。何が正しいのかわからないとはよく言うが、世間は美しいものを求める。自分のこの底辺の精神性を社会は求めていない気がして、いつもどこかで落ち着かない心持を抱いて今も生きている。それをどうやって肯定すべきかもわからないでいる。ただひとつ、わかったのは和唐君がまた私に文章を書かせてくれたというたった一つの事実だけなのである。いままで背中をせっつかされることがあってもかけなかったのは、書いてはいたけど、自分を表現できている気がしなかったのに、いまやそれが標準基準になるほどに自然体にできているというのは彼の功績、存在が大とみなされている証である。わたしは世間に合わせなきゃいけないと思う反面、それではアイデンティティがないと反発し、世間との折り合いに苦労していた人間だ。それは今もはっきりいって存在している。抗えない事実を目の前にし、これを書いて生きていることを確認するしかない。文章を書いて吐き出す作業はいわば自分の存在が底にある証明だと今は分かった。実は、楽がしたいと思って、感性のみで生きてきたのだが、どうもそれに限界を感じてきて、無限の可能性
自己の存在、自己の現在の表現、自分にどこまでも執着していると著しく自分を阻害し、自分を生きれないことを今、知っているさなかである。
私の書いた文章など特異性がなく、なんの意味も世には成し得ないとおもったところに
丁寧に一生懸命文学性を探り、探りを入れていたところにステーィブンキングの小説作法という素直な文章に出会ったことが今回筆を執った要因である。
わたしは幼稚園より何かを指摘されていて、小学校でも内向的であることを指摘されていて、思春期もなにやら指摘されてきて、それ以降も自分では一生懸命模索していたけれど、ASDやADHDを患っているのではないかとおもえるほど、自分の行動や発言、思考が飛び飛びで支離滅裂なところがあるので文章校正に難をきして
夏目漱石がじゃあ、といってつなげるな、じゃあには意味がないといったように 結論から求めるな 結論は一つじゃない(と解釈している
スティーブンキングがそうであるように、なうたさんがそう助言したように
それを思い出していた
いつも発狂しそうな毎日の中生きている。
昨晩はストレスでおかしな私に私の歌をお経代わりに念仏を唱えてくれた優しい子和唐君である。
これでいいんだなとおもわせてくれる、それが彼の私に対する自信である。
文章において 漱石と出会って文章で人を幸せにしたいと思った、そして上原浩治とのやり取りで自信がつき、和唐森羅君がこれでいいんだと思わせてくれた。
まっすぐでない、歪んだ私。ちょっと自分の存在がここにある感じがしている
人は平和を求めている

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